向かい風の向こう側

忘れないように 誰かの心にずっと住めるように 一生懸命あがいてやろうと思います

本気のオニュについていけなくても、私はオニュの歌が大好きだ。

ONEW Japan 1st Concert Tour

『Life goes on』初日、日本武道館の

ライブに参加してきました。

私にとって、初めて実際のおにゅを

この目で確認し、彼の歌声を生で

堪能する時間となりました。

 

どういう着地になるかわからないし、

言葉にできるかすべきなのかも正直

わからないけど、たぶん後から

振り返った時にこの日の気持ちや、

この日に至るまでの色んな個人的な思いが

きっと意味を持つ気がするので

書いておきたいと思います。

 

おにゅペンさんは、、、

読まない方がいいですきっと。

 

 

いつからだろうなあ・・・もう

思い出せない位意識するのもキツイぐらい、

おにゅの泡が見れなくなりました。

昔、ブログにも書いたことがあるけれど

私は「알겠지」と言われるのが苦手だなあ

って。日本語でも「わかった?」

「聞いてる?」「わかってるよね?」と

いった類の言葉をかけられると物凄く

嫌ぁな気持ちになる。だけど私の大好きな

推しがこの言葉をよく使う人だと

知った時からいずれはもしかするとキツくて

読めなくなるかもなーと思ってました。

それだけ私は彼の言葉に敏感になるし、

敏感でいたいと思っていたから。

で、敏感でい続けた結果、彼の

「幸せに過ごそう」「幸せに生きよう」等々

名付けて<おにゅの幸せシリーズ>が

受け付けられなくなってしまったんです。

何故彼がこんなにも幸せを連呼するのか?

幸せであることを意識しそれをチングにも

求めるのか?それはたぶん私でも少しは

理解できていると思うのです。当然、

良かれと思って毎日毎日伝えてくれて

いるんだということも、その言葉を

心から必要としていて本当に日々

励まされているチングの方がきっと

多いだろうということもわかる。だけど、

言葉の字面に囚われやすい私は、この

おにゅの幸せシリーズに毎日触れてると、

洗脳されているような気持ちに

させられて、なんか苦しくて仕方が

ないのです。私が今日を幸せな気持ちで

生きるか、それともどうしてもそんな

気持ちじゃ到底いられないからそうでない

気持ちで生きるかは私自身が決める。

私の感情は私のもので、幸せでも

怒ってても悲しくてもどれも大切な感情。

ほんと、毎日に近い位に「幸せに生きて

みよう」という言葉を目にすると、

私のような人間に伝えたくて送って

くれているわけじゃないことは百も

承知の上で、ほっといてくれって

気持ちにすらなって。。。

今のおにゅってなんていうか、、、

私がファンになった頃以上に

<本気のおにゅ>だと思うのです。

今までやる気がなかったとかそういうこと

ではなくて、おにゅという歌手として

SHINeeのおにゅとして生きることに

より貪欲に正直に本気になったという

意味で。こんなファンなりに、短い

期間でもおにゅが見せてくれる姿や表現と

真摯に向き合ってきてあのたい焼きの頃

からでも明らかにおにゅは変わってると

確信できる。だからこそ本気のおにゅに

私はついていけないんだと思うと、

すごく悲しくせつなくでもどこかで

まあそうだよなと思う部分もあり。

 

 

更に、おにゅコンもSMTも幸いにも全く

苦労せず当選し(というか、ぶっちゃけ

当たらないという現実を全く想像

できなかったw 1枚だし。)初めての

ソロアルバムを日本で日本語曲で発売して

くれるというのに、いざアルバム聴いて

みたら、まったく入ってこない曲が

何曲かあり・・・。まず1曲目の

「夜明けの世界」は、初めて聴いた時

声が耳に流れこんできた瞬間、ジム帰りで

歩きながら聴いていたんだけど、

目から汗が流れてきて止まらず、ああ

やっぱりこの声が本当に好きだなあ・・・

としみじみしまくってたんです。がしかし

「遅く起きた朝に」の途中あたりから

なんとも言えぬ違和感が襲ってきて・・・

なんだこれ誰が書いた歌詞だ?(調べる)

いや、ジュンジやないかーい!(ショック)

となって(私は彼が昔いたバンド、SUPERCARが

大好きで、ジュンジの書く歌詞が基本的には

大好きなので)そっからなんかもう、元々

J-POP特有の日本語詞の世界観(これは完全に

偏見なんだけど、基本上滑りなキレイな言葉が多くて

捻くれ者の私には心に響かないこと多々。。

特に愛だの恋だのを歌う歌詞は表面的なものが

多いように感じちゃって、ただでさえ感情移入が

苦手で、自分に言われてるような気分♡等々の妄想を

全くしない人間的には能面の心境に至る時すらある)

に心が動きづらいことが多い上に

それをあまりに美しい発音でおにゅが

歌ってくれるもんだから、日本人が歌う

日本語曲よりもハッキリと言葉1つ1つが

届いてきてしまい・・・なんていえば

いいんだろう・・・おにゅの声は好き、

歌も好き、だからある意味ではずっと

世界に浸ってられるんだけど、一方で

言葉が入ってこない、歌の世界にまったく

入り込めなくて悶々としている世界も

同時並行してるような感覚で。

かと思えば「Lighthouse」は時間が止まって

なんか時空を超えて心の距離感ゼロに

なる位の感覚に勝手になって、ああこれは

きっと本編ラストか、アンコ含めた

セトリのラストにもってくるだろうなと

思ったし、これライブで聴いたら色んな

意味でヤバイだろうなとも思ったり。

あと、おにゅが日本語で歌を歌っている

ということが不思議で仕方なくて。

SHINeeの過去曲で彼が歌う日本語は

当然何度も聞いているんだけど

個人的にリアルに偏る性質なのもあってか

一度も彼が歌う姿(日本語で)を実際に

見たことがないってことがたぶん

すごくこの不思議というか、違和感に

繋がっているんだろうなと思って。

だから、ライブが楽しみだったし、でも

同じ位怖くもあって。もしライブで

実際彼が目の前で歌っているのを見ても

心に響かず入ってこなかったら、それは

ライブでも埋められない何かがあると

いうことだから、そうなったらそもそも

もう彼の歌を愛せない状態なんじゃ

なかろうか?と。例によって盛大に

思考をこじらせてたんですよね。

 

 

なんて書きつつも、どうせ私は武道館の

おにゅに触れたら、「わー好きー(´;ω;`)

やっぱりおにゅの歌さいこー愛せるー」

ってなるんだろうなと思って、かなり

気楽~な気持ちで臨んだんですが。

 

 

で、初日のライブを観終えた今どうかと

いうと、驚く位に淡々とニュートラルで

でもとても温かい気持ちに包まれています。

生のおにゅを見たら、感動でテンションUP

するだろうなあさすがにと思ってたのに

誤解を恐れずに言えば、特段大きく

感情が動くことはなくて、あ、おにゅが

いる・・・歌ってるわ・・・あ、

おにゅだわ、そのまんまだわ・・・って

感じだったんですよね。なんというか、

私の目で見て感じて勝手に判断していた

おにゅ像とあまり差異がなくて、

答え合わせをしているような感覚で。

でも、想像以上に少年のように初々しくて

かわいくて若くて、そしてめちゃくちゃ

細かったけど。ただ、あ、ほんとに

おにゅってこういう感じなんだ?!って

ずっと思ってた気がする。だから、

自分の感覚を過信したり思い込み過ぎる

ことはなく、でも思い切り信じて大丈夫だな

と思ったしめちゃくちゃ信頼できる人だ

とも思った。そして、予想通り私は

ライブで実際のおにゅの歌を聴いた

ことで、違和感を解消することが

できました。入ってこない曲が入ってくる

ようになったというのとは違うし

心にものすごく響くようになった

というわけでも正直ないのだけど、

例えどんな曲でも

「おにゅの歌」「歌ってるおにゅ」は

素晴らしいと思えたし、やっぱり私は

「おにゅの表現」が大好きなんだなと。

何より彼が<LIVE>をしてくれたことが

すごく嬉しかった!音程がズレたり

完ぺきに歌えないことに対しては

相変わらずのストイックさが伝わって

きたけど、正直もし今回のライブが

かぶせばかりだったり、おにゅから

体温や人間みが伝わってこなかったら

違和感は解消されなかったと思う。

歌詞を間違えたりとんだりするのも

リアリティがあって、ああ、今ほんとに

生のおにゅの歌を聴けてるんだなって

嬉しさすらあった。

 

そしておにゅが何故沼と言われるのか?も

よくわかった気がします。確かに、あの人は

本当に魅力的だった。例えおにゅペンじゃ

なかったとしても、今日のおにゅを見たら

ああこの人はすごい魅力がある人なんだ

って思ったと思う。体力がないことを

隠さず地べたに座り込んでMCするのとか

明らかに緊張しすぎてどうしようもなく

なっていることがわかりすぎる姿とか

・・・あんな人いるの?(笑)いやまあ

いるのかもしれないけど、ものすごく

珍しいと思うし、あんなにそのままを

ステージで見せて世界を成立させちゃう

ってすごいことだと思うんですよね。

もうだって、ハンパない緊張ぶりで!

去年のタイヨウのうた初日の時も

観劇したshawolが、猛烈に緊張してた!

って言ってたけど、でもそれでも声は

出てたと思うんですよね。今日は

かなり途中に差し掛かるまで、もう

とにかく大変そうで。固唾をのむとは

まさに数時間前のあの状況のことを

言うと思う(笑)おにゅペン全員が

彼を見守ってるんですよ。いやほんと

あんな繊細で緊張しいな人の初の

ソロツアーをよくも異国の地で

やらせたもんだなと。(日本人としては

ただただありがたく嬉しいけど)

でもちゃんと日本語で歌いあげるん

ですよねぇ。ほんとすごい・・・。

 

更に何がすごいって、MCがまさかの

通訳無しだったのもあって、

ただでさえステージをこなすことに

必死なのにも関わらず、4年ぶり(しかも

その内1年半は兵役に就いてて芸能活動を

していない)の日本で、日本語でMCを

して進行しなければいけないという

鬼畜すぎる状況だったわけで。

ただこれがまた見事なおにゅワールドを

成立させていて、ご本人は気持ち的には

倒れそうだったと思うけど、結果最高だと

思うんです。あれはあまりに

唯一無二すぎる。あのワールドに

ハマってしまったら、もうそれは沼化

していくんだろうなと容易に予想できる。

 

 

いろんな場面でのおにゅが脳裏に焼き付いて

いるけど「Lighthouse」の時のおにゅの

あの姿を見て歌を聴いた時、初日に

入れたことの意味を深く噛みしめました。

お互いの想いが決壊したかのような、

あの時のあの会場の空気。4年前を知らず、

彼を想いながら時を紡いできたわけじゃない

私は、おにゅの歌に胸打たれて涙が溢れて

いても、どこか他人事のようなそんな感覚も

正直あったんだけど、韓国語の歌ではなく、

日本語詞の歌であんなにも感情が溢れだして

いるおにゅを見て、なんというか…彼の、

言葉や行動でわかりやすく目に見えるもの

だけじゃない部分ももっと信じて

くみ取れたらいいのにな…と思いました。

 

 

というわけで、ビックリするぐらい余韻に

浸っているわけでもなく、ただ淡々と記録を

残したブログのようになってしまったけれど

「おにゅの歌が大好きなんだ」という

答え合わせはしっかりできました。きっと

これからも彼の泡を読むのはしんどい場面も

多いと思うし、思考をこじらせることも

想像力の欠如に苦しむこともあるでしょう。

でも、何も変わらないなと感じる位には

おにゅの歌や存在が、日常に溶け込んで

いるんだなと実感させられたし、それが

わかっただけでも十分幸せだなあと。

 

 

2か月後の代々木でまたおにゅに会えること、

おにゅのライブに参加できることが

今は本当に楽しみです。

ただ個人的な気持ちを吐露しただけの

ブログをここまで読んでくださり、

ありがとうございました。