向かい風の向こう側

忘れないように 誰かの心にずっと住めるように 一生懸命あがいてやろうと思います

〈私の身勝手な脳内記録〉本気のオニュからの発信を受けて思うこと

数日前にオニュが吐露してくれたインスタのこの投稿。

 

 

 

 

読んでまず感じたことは、一旦ツイートでつぶやかせてもらいました。

 

 

 

 

 

 

でも、今回のことはちょっと私の中で大切なことなので、ここに書き留めておこうと思います。

ちなみに、私のブログを以前に読んだことがなく、たまたま辿り着いた方がいらしたら念のためお伝えしておくと「思いやりを持って温かい気持ちや言葉で肯定することがファンとしての正しい在り方と考える方」「(今回のことについて)信じる/信じないの軸で判断されたい方」「否定的な言葉や批判に傷つきやすいタイプの方」は特に読まない方が良いです。私なりの配慮は最大限しているつもりですが、個人のフィルターを通して〈個人の感覚を基準に〉好き勝手書いてる方だと思うのでモヤモヤされたり腹が立ったり悲しい気持ちになると思います。あと、今回色んなツイートやブログを拝見しましたが、いわゆる一般的に正しいとされている優しさや繊細さを持ち合わせてる方がとても多くて、そのこと自体は本当にとても素敵だしそんなファンの方たちばかりなら今回のような状況にはきっとならないと思うのですが、私は正直、そういう類のファンではないので。

 

 

私はそもそもオニュペンになったきっかけが

「この人、なんだろう・・・?」

っていう、いわゆるオニュサンテ的な所、独特のクセ(と私が個人的に感じている)がある所がきっかけで、聴けば聴くほど好きになる彼の歌・声・表現にハマっていったクチなので、正直今多くのファンがいろんな意味でザワついていることに対しても、

「まあ・・・元々不思議な人だしなあ・・・」

ぐらいの感覚なんですよね。(不思議という表現は聞きようによってはあまりいい印象がないかもしれないけど、私の中では不思議さも含めて愛おしいと思っています。)

そして、私はオニュ自身を、オニュの本心や心の中全てを理解できるわけじゃ到底ないし、なんならほとんどわかってないと思ってますが「彼が今どんな心持ちなのか?」ということが個人的にすごく大切に思うポイントでして。

「オニュがしたくてしてることか、そうありたくてそうしてることなのか」

というのがとても気になるんです。ただそれはあくまで「仕事の時」のオニュに対してであって、プライベートに関しては管轄外というのかな・・・そもそもあまりアンテナも立たないし、という感覚でした。

 

だからか今回、オニュがインスタに「SHINeeやオニュとしての活動以外のこと」について思うことをあげたのを読んで、非常にオニュらしいなあと感じたのと同時に、どう受け取ったらよいのかはじめ戸惑いました。

 

多大なる偏見があることは自覚している上であえて言わせていただくと、私はヨガや瞑想といった、精神的な悟りを開くとか、宗教の修業のメソッドとして開発された類のものが非常に苦手です。ヨガや瞑想そのものがいかがわしいとは思ってないし、むしろ何度かチャレンジしたこともあるんですが、どうしても性に合わなかった。。

ヨガ自体はとても良いものだと思うんですよ。1つ1つのポーズと丁寧に向き合って実践することで、深く自分の心と向き合えたり自分の本来の姿に気づくことができて、身体と心が繋がることで心身のバランスが整う効果があると言われてますからね。私は身体が硬すぎて呼吸が浅いから苦痛で仕方なくて、心と向き合う入口すら見えてこなかっただけでwww

 

ただ、ヨガを看板にして新興宗教化しているカルト宗教があるのは事実だし、日本は信仰が根付いていない国だからこそ、精神性が高い分野に対して<怪しい>っていう先入観を持っている人や、なんとなく怖い・・・っていう気持ちを抱いてしまう人が多いと思うから、大丈夫なのかな?って不安を抱く人が一定数いること自体は仕方ないのかなと個人的には思います。(あとアラフォー以降の世代は、オ●ムとか思い出すっていうのもありそう。ヨガの用語使ってたからね。。)

 

でですね、オニュからの発信をどう受け止めたらよいか戸惑ったままなのも、なんかなーと思いまして、オニュがインストラクターの資格を取得したと言われている<インサイドフロー>について、ワタクシ公式サイトを見てみました。が・・・正直よくわからなかったw ので、検索していろいろ調べてみた所、伝統的なヴィンヤサヨガ(割と運動量が激しいやつ)のスタイルがベースにはなっているみたいだけど、そこから更に進化したオリジナルな形態のヨガという印象が個人的にはしました。
私が何度か体験を受けたヨガはパワー系のヨガではなかったこともあって、ケガをしないことを大前提に、ポーズをとる時の手足や体のポジションも厳密に意識しながらという感じだったけど、インサイドフローは感覚的というか、音楽に合わせて体を動かしながら自分の内側に入りこんで気持ち良さを優先させていくヨガのようで、ダンスの振り付けを覚える感じに近いみたいです。(だからなんかフロー状態に入ったかのようなハイテンションな感じになるんだね。)個人的にハイテンション感だけでいったら「FEELCYCLE」のヨガ版みたいな印象で、正直好き嫌いは分かれると思います。

あと、インストラクターさんがレッスン中に自分の経験を通して感じた感情を吐露し、それに共鳴した生徒さんが一緒に泣いたりして互いに感情を昇華するといった場面もあるみたいで、そこは人によっては宗教的だと感じるかもしれないなと。ただこれは心理セッションの手法として登場することもあるので、人によっては癒やしになることもあるんだと思います。この辺りは人それぞれの感受性の持ち方が影響する部分なんだろうな。私は理解はできるし尊重はするけど正直かなり苦手ですm(_ _)m (あくまで個人的に、ですが「ポジティブに昇華させることこそ幸せ」という偏りを感じるのと、それが価値観に合わない。)とはいえ、色々調べてみて、表に出ている目に見える情報が全てではないにしろ、現時点では一概に怪しいものと決めつけるのは違うかな?と感じました。オニュにとってはこのヨガを通して<幸せ>を感じられるんだろうし、心身のバランスが整うんだろうし、音楽家なので性に合うのかもしれない。

 

 

とここで、戸惑いを感じた自分の気持ちに戻ってみました。何に戸惑ったのかな?と。

 

私ね、この記事でも書いたんですが

 

www.ayayan.xyz

 

もうかなり前から、オニュ泡をちゃんと受け止められなくなってたんです。「幸せに過ごそう」「幸せに生きよう」等々、名付けて<おにゅの幸せシリーズ>が、どうしても受け付けられなくて。

 

おにゅの幸せシリーズに毎日触れてると、洗脳されているような気持ちにさせられて、なんか苦しくて仕方がないのです。私が今日を幸せな気持ちで生きるか、それともどうしてもそんな気持ちじゃ到底いられないからそうでない気持ちで生きるかは私自身が決める。私の感情は私のもので、幸せでも怒ってても悲しくてもどれも大切な感情。

(中略)

今のおにゅってなんていうか、、、私がファンになった頃以上に<本気のおにゅ>だと思うのです。今までやる気がなかったとかそういうことではなくて、おにゅという歌手としてSHINeeのおにゅとして生きることにより貪欲に正直に本気になったという意味で。

 

こんな風に感じていたし、ベースの考えとしては今でも変わってはいないんです。ただ、おにゅがインタビューの中で

"実生活と仕事をあまりにも切り離しすぎてきたことへの違和感を感じてナチュラルな自分で対峙する方向にシフトしたり、自分の満足だけを追い求めることはやめようって考えになった”

と言っている(私の解釈が入ってますが)のを読んで、おにゅが少しずつ今の自分を、自分の変化を受け入れて肯定できるようになった姿を見せてくれたことで、私自身もしっくりくる自分を徹底的に追い求めよう、無理におにゅ泡を読んで言葉にし難いモヤモヤを抱えるより距離と時間を置いて、自分のペースで推しを想って向き合っていればいいじゃん!って思えてから、楽になったんですよね。

 

でも、今回のインスタで吐露してくれた心の内(おにゅの<私>)とインタビューで語っていた自分自身の変化(おにゅの<公>)に矛盾がなかっただけに、ああほんと公私の境目をできる限りなくしてナチュラルな自分で生きていきたいんだなって感じたし、おにゅの幸せの源にこのヨガが深く関係していておにゅを活かしているならば受け入れたいし尊重したいけれど、いきなり明かされた心の内に触れて、意図的に距離を置いていた<幸せシリーズ>の源がスポーンと飛び込んできたもんだから・・・ちょっとすぐには適応できないんだよな。あと、オニュの人生から「歌」と「SHINee」が消えることなんて早々ないとは思ってるし、自分の満足だけを追い求めることはやめる=家族・仲間・チングも幸せにしたいって強い想いがあるんだろうなとは思うんだけど、それと今回のインスタでのオニュからの発信がどうリンクするのか?が私にはまだ想像できないことに、個人的に戸惑ってるんだろうなあという考えに、今現在は着地しています。

 

ただ、個人的な戸惑いはあれど、おにゅの中では矛盾がないんだろうなとは思うから、「オニュがしたくてしてることか、そうありたくてそうしてることなのか」という問いはきっとYESなんだろうなと思うと、尊重はしたいんですよね。何故なら今の彼を形成している大事なアイデンティティだと思うので。それにまあ、あの、散々いろいろ書き連ねてきたのにこんなこと言うのもなんですけど、いつも割と線引きして応援するタイプにも関わらず、こんな時だけその線勝手になくしてモノ申してる自分もどうなんだろう?というのもありますし。でも・・・言わせてくれ!だってこちとら距離置いてたのに、そんな心の内まで吐露してくれちゃってスポーンって飛び越えてきたのはそっちなんだから!!というお気持ち。

私はいつ何時でも自分の感覚を一番に大事にしたいんですよね。好きでいられなくなったらどうしよう…って不安を解消するために自分の気持ちや感覚を一般的な正しさやファンならばこうあるべき的な無意識に良いとされてるムーブに寄せるようなことは絶対にしたくない。ただ自分の気持ちや考えを発信する場と言葉には、どんな時も留意した方がよいと思うし、自分と違う感覚や考えを尊重する気持ちを持つことは大切だと思ってはいます。

 

 

オニュをはじめ、SHINeeのメンバーは皆、30代の大人の男性。皆それぞれ意思を持った自分自身の世界というものが公私共々あって、それも全部ひっくるめて15年間もグループとして活動を続けてくれてるんですよね。若い時以上に1人の人間としての〈生き様〉のような精神的なものが魅力になってくる世代に突入してると思うし、公私の捉え方やそれを出す/出さないといった価値観もはっきりしてくると思うので、会社やメンバー間でそれらの見せ方や考え方の合意がとれているならばファンが介入する余地はないんだよなと思います。

ただ、非公式な情報をファン側が勝手に拾いに行ってそれに対してあーだこーだ言うのは論外として、アーティスト側が公式のSNSにあげたことに対して「受け入れられないなら黙って離れるべき」などと、Twitterなど拡散しやすい場や不特定多数の人が見やすい所であえて発信することはどうかと思う。今回の件でいくつかそういう意見を目にしましたが、ファンがファンにそんなことを表立って言うなんて、傲慢甚だしいと思う。自分の正しさの押しつけじゃないですかね。私自身もベースの考え方としては受け入れられないなら離れた方が良いとは思ってます。先にも書いたように言葉や場には気をつけることは大前提だと思いますし、明らかにオニュの目につく所で心無い言葉を投げかけたり、〈心配〉や〈自由〉を盾に自分のフィルターを通して思うことを無遠慮に述べるのは品位のない卑劣な行為だと思う。でも、アーティストからの発信に反応してはいけないわけじゃないし、例え同じグループ・同じ人のファンであってもファンの数だけ考えや感覚があって当然なのに、好きならば全てを肯定して受け入れるべきという前提を無意識にでも意識的にでも潜めたムーブを、そうじゃない側に同じ立場同士で表立って発信したりそれに湧き合ってる場面を見かけると、私にはそれこそが少し異常に見えます。そういった多数派意識の連帯がまた溝を生むと思うし、オニュを傷つけることに巡り巡ってなるかもしれないとは全然思わないんだな…と。

 

色々思うこと書かせていただきました。こういう形でオニュの発信を消費させてもらうことが、とてもありがたくとても申し訳ないです。オニュはこんな風に、自分の発信でファン同士に溝が生まれたり深まることは本意ではないと思うので、本当は黙って見守るのが良いんだろうなと思いつつ、結局私もそうできず、ごめんねオニュ…。

ファンとしての自分の気持ちをただ整理したくて書き連ねた記事を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。