とても静かな気持ちで、オニュの歌を
見て聴き届けて思ったのが
「ああ、私はこの感覚を味わいたくて
この番組を見ていたんだなあ」
ということでした。
正直、来週からもう見なくていいかな
とすら思っています。(見るけど)
この気持ちを味わえる歌は恐らくもう
あと3話の中にはないと思うから。
パラドンパダ第7話。
オニュが、ソヌジョンアさんと
SHINeeの「너와 나의 거리」を
奏でました。それは、全身全霊の
魂の叫びのような、愛に満ち溢れた
心震わされる素晴らしい奏でした。
(愛愛連呼する人間信用できないんだけど 笑
今日は愛愛書きまくると思います。)
私はとても天邪鬼な人間なので、
先週の予告でオニュが「너와 나의 거리」を
歌うと知った時、Twitterやブログに
書いた気持ちも紛うことなく本音では
あったけれど、一方でどこか冷めた思いで
いました。過去に経験した中で感じた
色んな感情の中で、自分にとって意味
深かったり重たかったりすればするほど
<今>もそれに引っ張られる所が
あると思う。今は今なのだから、
今その時と同じ経験をしたり、
同じものを見たら、今はまた違う
想い・感情・感じ方があるかも
しれないのに、1番感じたい感情を
パブロフの犬のように条件反射で
感じる(感じようとする)所が
人間はあると思う。それが悪いとか
おかしいとかではないのだけど、
ほんとに今はそう思ってるのかな?
なんか「ファンなら皆こう感じる」
的なイメージに引っ張られてないかな?
って思う時があって。過去の事象を
わざわざ大ごとにする感もなんだかなあ
と思うし。私は、人の気持ちを
ひとくくりにするのもされるのもすごく
不快なので、勝手に巻き込まれるのは
嫌で、一歩引いた気持ちになってた。
結果、そんな私のちっぽけなこだわりなど
心底どうでもいいと思える位の歌を
オニュは届けてくれたわけですが。
パラドンパダ、4話位までは、オニュの歌が
聴けるからだけじゃなくて、番組としても
すごく好きで面白いなあと思ってたんです。
それが、多分5話位からどうも、ん?って
気持ちが心の片隅に宿るようになって。
この番組に出演したことが、オニュに
とって大切な想い出や力になる経験に
なったんだろうなあということは
オニュから届くbubbleで感じていて
事実、それは毎回すごく伝わってきて
いたんです。1つ1つの場面だけ
切り取ってみればどれもそれぞれ
印象的だったり楽しかったりしたん
だけど、1つの番組として見た時に
なんか味気ない感・・・というか、
端的に言うと
「もうこの感じは飽きたな…」
感がぬぐえなかった。
番組が悪いとか出演者が悪いとかでは
なく、海を見る理由がある人達に
癒しと美味しい料理、音楽を届けることや
サステナブル、癒しというコンセプトは
一貫してブレがないと感じていたけど
個人的な私自身の願いが、最初に
「願わくば、オニュの深い魅力が
ふんわりとでも露呈されるような
表面的ではない心の色合いが
描かれているような、
そんな番組でありますように。」
だったので、全然物足りなくて。
(ふんわりとと書いたけれど
実質はがっつり感じたかった)
オニュの歌は毎回最高で大好き
だけど、偉そうなことを言って
しまうと、
「歌がうまいのも皆に愛されて
仲が良いのも素敵な人間性も
スヒョンちゃんやロゼとの
ケミが最高なのもよく伝わって
きたけどもっと心の奥深くを
見せてくれるようなそんな歌が
聞きたいんだよ」
という気持ちだった。不遜だし
ワガママですよね。そして、
心の奥深くを見せてくれるような
歌なんて書いているけど、それは
本気でそうしようとしたら、
魂…というか、傷や痛みにも
触れたり向き合わなければならない
だろうと思っていて、それが
容易いことではないことも
承知の上で、でもなあ・・・
という気持ちだったんです。
「처음 보는 나」
(初めて見る僕)
元は何かドラマのOSTだったのかな。
しとしとと、でも結構大粒の雨が降り続ける
特別な夜に、オニュの歌が響きわたっていて
オニュの声の魅力が鉄板で活かされる
素敵な歌だった。
ジアさんが美しいのよもう…。
ジョンシンさんも哀愁漂っていて
一気にアダルトな様相。
心のこもった
"사랑해"
だったな。
<歌で人の心を癒し灯を点す>
ということがどういうことなのか
教えてもらえたような気持ちに
なりました。
ソヌジョンアさんの
「도망가자」
敬虔な祈りを聞いているようだった。
その人の魂を感じさせられる瞬間って
ほんとうに美しいと思う。
感情の表面張力がギリギリの所で
保たれているように見える。
思考も言語も失ってただただ
身動き1つできず、立ち尽くして
しまう。そんな経験なかなか
ないだろうから、よかったねと
あえて伝えたくなります。
心から愛している歌だからこそ、歌うことで耐え難い痛みを伴う時もある一方で、浄化されて幸福感に満ち溢れる時もあると私は思います。きっとこの日オニュは、ソヌジョンアさんとの全身全霊の奏を通じて、創り手の愛を身体いっぱいに受け取れたんじゃないかと感じました。#바라던바다 #온유 #ONEW pic.twitter.com/dbPAKlFW6i
— 아야티*あや* (@paluvjourney821) 2021年8月10日
きっと、本来は海辺で歌うはずだったのであろう「너와 나의 거리」を、BARの仲間にすぐ近くで見守られながら歌うことになったのにも意味があったのかな…と感じさせられました。こんな風に曲が生き続けるって、切なさもあるけれど本当に素晴らしい。魂が宿ってて。#바라던바다 #온유 #ONEW pic.twitter.com/7mxEzb3PTK
— 아야티*あや* (@paluvjourney821) 2021年8月10日
私だけの大切な気持ちは昨日のツイートに
集約させたのだけど、もう少し書き留めて
おきたいと思います。
個人的に「너와 나의 거리」という曲に
関して、ジョンくんが残してくれた大切な
魂のカケラという意味ではものすごく
大切に想っているけれど、shawolに
とって大切とかメンバーにとって
大切という感覚は、本当に
リアリティを以ては私は理解できて
いません。もちろん、そうだろうな
とは思ってはいたけれど。
でも、昨日のオニュの歌を聴いて
オニュ(メンバー)にとって大切
という感覚は少し理解できた気が
します。確かに、大切なんだって
いうことは本当に伝わってきた。
「너와 나의 거리」をリクエスト
したのは恐らくソヌジョンアさんの方
だと思うんだけど、彼女の歌や表現
からこの曲へのリスペクトを感じて
まずそれにすごく感動しました。
そして、この曲が秘めている力と
オニュにとって想いが溢れる曲という
前提はあれど、オニュにこんな
素晴らしい歌を歌わせてくれた
オニュ自身の魂と、創り手の愛と
オニュの深い部分に、直接的に
デリカシーなく踏み込むという形でなく
歌を通して触れて心を見せざるを得ない
状態にして、魂の叫びや深い魅力を
引き出してくれたソヌジョンアさんに、
心の底の底の底から感謝の気持ちで
いっぱいです。オニュがこんなに
むき出しになれたトリガーは
ソヌジョンアさんの歌だったと
思うから。
多分オニュは、引き出してもらう
タイプのアーティストなんだろう
なあと思うのです。コラボや
featuringという形態がとても合う
アーティスト。感情が溢れ出して
制御できなくなるのが怖いのかな
と思う位感情が豊かな人なんだと
思っているので、自分1人だと
なかなかそこを越えるのって
難しいんだろうな。音楽的に、
技術面でのチャレンジはできたと
しても。でも、オニュペンじゃない
人が聴いてもものすごい歌だったと
思うんだよな、昨日のオニュの歌は。
本当に素晴らしかったよ。
私はあまりこの表現が好きでは
ないんですが、音楽というのは
時空を超える瞬間が時にあると
思います。
その曲を愛していればいるほど
その愛の源を心から想う時、ふっと
それが隣にあるかのような感覚に
なることがある。それこそ
君と僕との距離0mになるんです。
その感覚は決して心地いいだけじゃ
なくて、時には辛さ苦しみ痛み哀しみ
切なさといった感情も呼び起こされたり
そんな記憶を刺激されたりもすると
思う。私たちは<生きてる>ので。
そのことに時に絶望してしまったり
打ちのめされる時もあるけれど、でも
それはその愛の源がいつでも自分の中に
生き続けているということの証とも
私は言えると思います。オニュは
もしかしたらそれを十字架のように
背負って生きているような感覚になる
時もあるんじゃないかと、これはもう
本当にただの1ファンの戯言ですが
そう思うのです。だけど、十字架を
背負うのではなく、心の距離が
0mと感じられる位に自分の中にその
愛の源を宿せる日もきっとあると思う。
そういう時は、心が浄化されたような
気持ちでいっぱいになって、そこに
創り手の愛がダーっと流れ込んできて
ただ辛くせつなく悲しいだけではない、
どこか温かくて幸福に満ちた気持ちが
混在して涙が溢れ出てくる時もあると
思う。この曲を歌った時のオニュは、
なんかそんな感じになったのでは
ないか…そして、オニュの心の大切な
場所にある想いと、ジョンくんが
生きた証が、一体化されたとてつもない
愛を受け取ることができたように
勝手ながら思います。
ジョンくんが命を燃やして創り出した
沢山の宝物たちを、歌い紡げる歌手の
1人であるということを、意図的に
思い起こさせるような方向に演出する
ような番組だったら、こんなに純粋に
いい歌だった、素晴らしかったとは
思えなかったと思うので、パラドンパダの
制作の方達にも心から感謝します。
海辺ではなく、この場所で仲間を背に
歌うというシチュエーションじゃ
なければ、歌えなかったかもしれないね。
逆に海辺だったらオニュの感情が
ここまで溢れ出てこなかったかも
しれないし。
ああ・・・もっともっと、オニュの
むき出しの歌が聴きたいなあ。。。
毎回だと、受け手側もエネルギー
使うから身が持たないのはわかって
いるし、歌ってくれるだけで正直
嬉しいけれど。申し訳ないけど、
来週からはパラドンパダではどんな歌を
聴いてももう響かないかもしれない。
スヒョンちゃんとオニュのデュエット聴いても、ただの
仲良し歌ウマ兄妹のおままごとにしか聞こえないかも。。。
歌はほんとうまいしめちゃくちゃいいケミなんだけど。
でも私、こんなこと書いてるけど
悶絶しそうな位楽しみなデュエットが
あるんですよ。
ドンウク氏とスヒョンちゃん!!
ふぉ~ぅ😍
무야호~ㅋㅋㅋㅋ
ドンウク氏は多分、オニュとも
「재연」を歌ってくれたはずで
それもきっと放送されると
信じていますが、とりあえずこの
オニュとはまた違う種類の
甘い雰囲気漂うデュエットに
ニヤニヤしてしまいますよ
おばさんは!!←キモチワルッ!!
とにかく、10話予定ならば残りは
あと3話。正直ほんと、気持ちの
糸がプツっと切れたような心境で
ウキウキしつつもなーんかなー
みたいな感じなんだけど、終わりに
近づいている夏をちゃんと、
愛しみたいと思います。
(2021.8.12追記)
※この記事を書くにあたって私が基本的に
どんな考え方なのかということを書いて
おいた方がよいかな?と感じての追記です。
が、大したことは書いていません。。
半ば自分のための追記ですm(__)m
沢山の方に記事を読んでいただいていて
本当にありがたいと思うと同時に、私が
何故そう思うのか?の前提となる考え方を
書かないまま、ただ思うことを書き連ねて
しまっていたもんだから、いつも以上に
乱暴な印象になってしまったなあと
思っています。
私はオニュがこんなにも感極まった
直接のきっかけは「너와 나의 거리」では
なくてソヌジョンアさんの歌った
「도망가자」だと思っていて、あの
敬虔な祈りを捧げているかのような
歌と歌詞が、オニュの心の奥深くに
潜んでいる孤独や傷に染み渡ったんだと
思っているんです。ただきっとそれは
「너와 나의 거리」を歌うにあたっての
オニュの感情にも繋がっていて、
「너와 나의 거리」という曲自体への
想いやジョンくんへの想いとリンクして
いざ歌おうとした際に溢れだしたん
だろうなあと。それを
「こういう時僕うまくやれるんだ」と
プロとしてしっかり、歌に昇華させて
全身全霊で表現したからこそ、
あの場があんなにも共鳴の坩堝と
化したんですよねきっと。
私は新規のファンなのでジョンくんとの
思い出がない分、彼が残した楽曲に対して
何か特別な意味を持って聴くということも
正直ほとんどありません。昔からの
ファンの方達やメンバーにとって、彼に
関わるもの全てが意味深くなることも
デリケートになることも理解はして
いますが、私自身があえてそうなる必要は
ないと思っています。現在進行形で
なかなか悲しみや痛みから抜け出せず、
毎日時間が止まってしまっているかの
ように日々を生きている、ジョンペンさんや
shawolの方達を慮る気持ちを持つことは
大切だけれど、個人的にはジョンくんと
いう存在にも彼が生み出した楽曲にも、
ただ自然に向き合い感じたい。もちろん
その時に、とても悲しく辛い気持ち、
淋しい気持ち、切なさがこみあげて
くることもあるけれど、なんか
「そうでなきゃいけない」
「そうなるのが当然」感が何となく
漂うのを感じる時があって、それは
すごく嫌です。そういう空気や思惑に、
私が私なりにジョンくんやSHINee、
オニュを大切に想う気持ちを無神経に
引っ張られたくない。私は、私の
日常の中に、ジョンくんが魂を削って
残してくれた宝物のような楽曲や
言葉や彼の存在を、自然に宿したい。
傷や痛みは、愛を持って向き合えば
癒しや幸福に昇華できる時もある。
それは悲しみや苦しみを忘れたり
それらが消えることとは違う。
癒しや幸福に昇華させることは
卑怯だったり薄情だったり
不誠実なことでもない。
改めて今、そう思います。