向かい風の向こう側

忘れないように 誰かの心にずっと住めるように 一生懸命あがいてやろうと思います

2021年3月11日(木)14:46

東日本大震災から今日で10年です。

 

 

 

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思い出したくない、という方も

いらっしゃると思うので、たまたま

目にされた方には申し訳ないですが

私は、この日のことを忘れないように

するために、あの時あの頃感じた

記憶を、この機会に書き留めて

おきたいと思います。

 

 

あの日、当時勤めていた会社の6Fで

営業に出かけようとした瞬間に

あの地震がきました。

 

初めは、ちょっと強いな・・・ぐらい。

数秒で、いや、これはまずいぞとなり

大きな棚の近くにいた同僚を、

「危ないからこっちきて!」

呼び寄せたほんの0.何秒の後に

その棚が机の方にがっつり倒れて

きました。激しい揺れの中で

間一髪で直撃を逃れた同僚は

怖い!と泣き叫びながら

半狂乱の状態。私と先輩は、ただ

机の端にしがみつきながら、

 

「震源はどこだ?」

「すぐにネットニュース

確認しなきゃ」

「営業は行くべきなのか?」

「家族は大丈夫だろうか」

 

などと頭の中で色々考えを

巡らせながら、事が過ぎ去るのを

待ちました。

 

仕事はもう難しいと判断して

皆で駅まで向かった時の

台風の時ですら見たことのない

人で溢れ返った駅の改札。

電車が動かないので、

とりあえず隣駅に一軒家を借りて

同棲している同僚の家に

30分ぐらい歩いておじゃまし

電気と水道が停止している家で

6-7時間ぐらいお世話になりました。

 

たまたま同僚の彼が車を所有して

いたこともあり、私たちは本当に

ラッキーなことに家の近くまで

送っていただくことができたけど

国道沿いを黙々と歩き続ける

人達の光景は今でも

忘れません。

 

 

阪神淡路大震災の時、

子どもだった私は、TVを通して見た

火事で焼き尽くされた街の様子や

陥没する道路を見ながら

何もできない無力感をただただ

感じていた。

その時の気持ちが忘れられなかったので

震災後最初のGWから1年に3回

長期休みをとって、2年半ぐらい、

あるボランティアチームに参加して、

石巻市の渡波地区を中心に

ボランティアをしていました。

 

 

初めて降り立った時、目の前に広がる

光景が、あまりに非現実的すぎて

無になった。ナイーブな子は、その

光景を見るだけで精神的にキツく

なってしまったみたいだけど、私は

正直、教科書の中でしか見たことの

ない終戦後みたいだ・・・

今自分が立っている場所が現実なのか

実感できずに茫然とした記憶があります。

 

 

1番初めに行った時は震災後1ヵ月位しか

たっていなかったので、ただひたすらに

道路やご自宅を片付け続け、水分を含んだ

とんでもなく重い畳を外に運び出し、

荷物整理で喧嘩をするご家族を見守り

(想い出を捨てることができない被災者の方と、

水浸しで使い物にならないそれを持っていたって

意味ないから捨てろ、という上京している

娘息子さん達とが争うのです)

ポロっと吐露する被災者の方達の

色んな言葉を曖昧に受けとめる。

少しでも早く日常がおとずれる

ようにと願って、必死に身体を

動かすことしかできなかったけど

今思うのは、前と同じような

日常に戻すことなんて、

本当はできなかった

ということ。

驕っていたなあと思います。

 

 

夏以降は、店舗の復興支援で

壁を張り替えたり、ペンキを塗り直したり

薪でお風呂を沸かしたりもしたし

仮設住宅にお住まいの方のお話を

聞くという経験もさせていただきました。

震度5強の余震が度々起きて、

皆で一緒に高台まで避難したことも。

(あの日の地震と比べちゃあ、絶対大丈夫。

津波なんて来やしないよ、こんな程度じゃ、

とおっしゃる方も結構いらっしゃって

少し困ったり。)

 

 

女川地区に行った時は、海沿いは

ほぼ流されて原型をとどめて

いませんでした。牡鹿半島に

生活用品を持って行った時は

絶対に履けないような男性物の

スリッパなども我先にと女性陣達が

激しい争奪戦を繰り広げて、

仕方なく、人生の大先輩の方々を

𠮟りつける時もありました。

(怪我する勢いだったり、順番を守らないことで

ラブルが起きるので…)

生への本能とか<生きる>ことの源、

切実さみたいなものも感じさせられた。

地区ごと流されて、消えてしまった

街もありました。

 

 

ボランティアに行った、

しかも1回ではなく1年半で4回

行ったと話すと、

凄いねとか偉いねとかよく

言われるけれど、正直本当に

自己満足でしかなかったなあ

思います。

当時付き合っていた彼氏には

大反対された挙句、フラれたり。

それでも私は、何故だか今でも

よくわからないのですが、

あの当時はとにかく、

行かなきゃいけないという

自分の本能だけで行動した

記憶があります。

 

とはいえ、何も考えずに行った

わけではなく、当時私は

2週に1度はキャンプや登山、

キャンプフェス(野外フェス)に

行くような生活を送っていたので

ボランティアに必要な装備が

ほぼ揃っていた

(1人用テントや寝袋、ヘッドライト、

LEDランタン、マット、登山用リュックや

お高いゴアテックスの雨具一式、

野鳥の会の折り畳み長靴とか

山やフェスで軽食を食べたい時の

コッヘルとかガスバーナーなどなど…)

1人でテントも設営できた。

バンギャだったこともあって全国

鉄道やバスの旅みたいなものも慣れて

いた。先に行っていた友達から

紹介されて所属したボランティア団体は

目の前に温泉施設がある場所を借りて

いたこともあって毎日お風呂にも

入れる環境だったし、料理班が

あったから朝食と夕食は基地でみんなと

昼食は料理班の作ってくれたおにぎりも

あった。ある程度の環境が整って

いないと難しいと思っていたので、

自分に合ったボランティア団体との

ご縁があったのは大きかったと思う。

(ピースボートの方達みたいに、

本当に被災地で暮らす方々と同じような

生活をしながらのボランティアは

私には絶対できなかったと思う)

 

 

あの震災を関東で経験したこと、

石巻でボランティアをしたことが

今の自分にどう影響しているか

正直わからない。

私は被災者、とは思っていないし

阪神淡路大震災の時、なす術なく

TVの前で茫然と惨状を眺めていた

自分と何か違ったかな?とも思う。

無力感は現地を訪れてボランティアを

していてもあったし。

 

ただ、当時経験させてもらった

沢山の事を通して見た景色や、あの

強烈なにおい、接した人達のことは

今でもハッキリ覚えています。

 

震災後最初のお盆で、学校の校庭で

復興支援のバザーのお手伝いをした時

風船🎈に願いをくくって

みんなで飛ばすイベントがあり、

女子高生の子達が固まってみんなで

笑いながらも泣いていた光景を

思い出すと今でも胸が苦しくなる。

 

「津波で妻が流されたんです」

と片付けの最中にポツリと呟いて

こんな小娘に胸の内を吐露して

くださり、「すみませんこんな話

しちゃって」と謝られたあの方は

元気かなあとか。

 

「こんなの戦争に比べたら

大したことないよ!戦争経験者は

強いんだから!!こんな

おばあちゃんなのにまた

生き残っちゃったよ!!」

明るく笑いながら、一緒に家の

片付けをしたおばあちゃんのことも

思い出す。

 

 

なくなったものや人に思いを

馳せて、そこからずーっと

抜け出せない方達もきっと沢山

いらっしゃると思います。

自分が朝起きて、息をしていて

息してるから生きなきゃって

思う時の絶望。過去が恋しくて

失ったものや失った人の喪失で

大きな穴の中から抜けだせずに

生きることを、逃げとか

堕落してると頭ごなしに

決めつけるのは違うと思う。

生きてればいいことあるよ!

的な言葉が本当に全く慰めに

ならず、むしろ腹立たしく思って

しまったり。

 

私は、今は「今を生きる」って

いうことが苦しいと思う生活を

送っていないし、コロナ禍では

あるけれどありがたいことに

至って平和で幸せな毎日を

過ごしてる。

そういう、今を幸せに生きることが

できている私が今日のような

忘れがたい日にできることは、

自分があの震災のボランティアを

通して経験したことそのものや、

経験を通して感じた気持ち、目に

焼き付けてきたあの光景やにおい、

出逢った方達のことを忘れずに

いることぐらいしかできないの

かなあと思う。でもその、

「忘れない」ってことが

ものすごく大切なのかもしれない。

 

 

今日という日がとても重たく

意味深く、ただ平和にやり過ごす

ことが難しい方達が、少しでも

心穏やかに幸せに生きられることを

僭越ながら願って。。

 

 

(1枚だけ、2012年3月に撮影した写真を載せます。

小高い丘の上から撮影した風景写真ですが、

たまたまこのブログをここまで読んでいただいた方で

辛くなりそうな方は、ご覧にならない方が

いいかと思います。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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